学生時代
小学校1年生までは病弱で、月に一度ぐらいのペースで、風邪を引いて休んでいました。
2年生からスイミングスクールに通い始めると、心肺機能が鍛えられたのか、ほとんど風邪を引かなくなりました。
中学1年生になると、僕らの世代は第二次ベビーブームだったので、1学年12クラスもあり、教室が足りずに、校庭に建てたプレハブで授業を受けていました。
夏になると、室内温度が40度になり授業どころではありません。
ここでも鍛えられました。
高校生では、アルバイトに明け暮れ、働いてお金を稼ぐことをおぼえました。
学校へは遅刻して行き、授業中はほとんど寝ている。
そんな高校生活で、卒業しては進学も就職もせずに、フリーアルバイターというものになります。
社会人
社会人と言ってもフリーター、でも当時けっこう稼げました。
ちょっとお金があったので、スキューバダイビングを始めました。
インストラクターを取ろうと思い、八丈島のホテルで住み込みアルバイト。
インストラクターは取りませんでしたが、ガイドができるダイブマスターになりました。
半年滞在して、地元へ帰る予定の数日前。
やってしまいました。
原付バイクで自爆して左足脛骨骨折・・・
八丈島の病院では手術できないといわれ、強制送還で地元の病院に入院。
3ヶ月の入院生活でした。
その入院生活がきっかけで、鍼灸師になることを決意。
退院後、鍼灸学校の学費を貯めるために、選んだ仕事が潜水士。(作業ダイバー)
5年でお金を貯めるつもりでしたが、実家が傾いてなかなか辞めれず15年、やっと鍼灸学校へ。
開業
鍼灸学校は3年で卒業です。
鍼灸師を取ると、父親が実家の古いアパート1室空いてるから、使っていいぞというので、自分で内装リフォームして、もう3年間指圧学校に通いながら開業。
あんまマッサージ指圧師の資格も取りました
いろいろな手技を学び、腰痛、関節痛、首肩こりなどの改善はできるようになりましが、しばらくすると、どうしても症状が戻ってしまうことが・・・
とくに、腰痛の患者さんでは、改善と悪化を数ヶ月で繰り返す方がいらっしゃいました。
なんとか治してあげたいと思い、さらにセミナーやDVDなどで手技を学び、いろんな施術をためしていました。
しかし、今考えるとそれは、出ている症状を追いかけているだけで、その症状の原因を見極めようとしていない。
それでは、患者さんは痛みのループから抜け出せません。
そこに気がつくまで随分かかりました。
治療家から指導家に
出ている症状の、本当の原因を見極めるのは、なかなか難しいものです。
やっぱり、改善しても戻ってしまうことがあり、悩んでいました。
そんなとき、歩き方を正しくして、外反母趾が改善するという「ゆるかかと歩き」をみつけました。
ほんとに歩き方だけで、外反母趾が改善するのか、半信半疑でオンラインセミナーに参加しました。
その内容を見てこれは本物だと思い、その後インストラクター講座にも参加しました。
そこで、ゆるかかと歩き開発者の中島先生がこう仰いました。
「外反母趾は悪い歩き方による生活習慣病」
そして、「治療家ではなく指導家になりましょう」
これは衝撃的でした。
慢性的な痛みの多くは、仕事や私生活での悪い姿勢や動きが原因。
患者さんが痛みのループから抜け出すには、施術者は治療することよりも、普段の生活で正しく動けるように、指導することが大事なのです。
それからは、治療もしますが、姿勢や歩き方指導、セルフケアに重きを置いて施術をしています。
喜び2倍
姿勢や歩き方の改善、セルフケアを自分も頑張って、からだが良くなった人。
治療(施術)を受けるだけで、からだが良くなった人。
比べてみると、自分も頑張った人の方が、良くなった喜びが2倍になってる感じがします。
それは、自分で健康な状態を取り戻せる(維持できる)自信がついた。
喜び2倍は、そういうことだと私は思います。
もちろん、患者さんが頑張って良くなってくれれば、私の喜びも2倍です。